(公財)日本修学旅行協会
理事長
竹内秀一
ブルネイという国について、日本の高校生が知っていることといえば「石油の国」「イスラム教の国」というくらいではないだろうか。正直、私のブルネイに関する知識も、今回、 訪問・取材させていただくことになるまでは、高校生たちと大きく変わるところはなかった。多くの日本人にとって、ブルネイは未だ「知られざる国」なのだと思う。
今回、ブルネイを訪問させていただき、そこで見聞したことを踏まえて、日本の学校が教育旅行(修学旅行・研修旅行)の訪問国としてブルネイを選択肢の中に入れられるかどうか、私が長年勤務していた学校の目線で考えてみた。高校生がブルネイに行って何をするの か、何が学べるのか、何を感じて帰ってくるのか…。
結論から言えば、ブルネイは教育旅行の訪問国とするにふさわしい国であるということだ。今後、改善することが望まれるいくつかの課題はあるものの、ブルネイには「学び」の 素材が極めて豊富にあることから、それらが、学校の「集団活動」にとって利用しやすいプ ログラムとして整備されていくなら、きっと大きな「学び」の効果が得られる教育旅行となるに違いない。以下、このことについて具体的に述べていきたい。
1 海外修学旅行のねらいがブルネイで達成できるか
① ブルネイのイスラム文化と先住民族の文化
教育旅行の目的として「平素と異なる生活環境にあって、見聞を広め、自然や文化などに親しむ」ということが、中学・高校の学習指導要領に記載されている。外国は、そこを訪れ ることそのものが「平素と異なる生活環境」に自分の身を置くことになる。その国で、生徒 が自分たちとは異なる文化や価値観に触れること、その体験を通して自らの視野を広げ、ま た、その体験を自分自身を捉え直す契機とすることを学校は大きなねらいとしている。当然 のことながら、そのような文化が育まれた自然環境や歴史的・社会的背景について学ぶこと も異文化を理解するうえでの重要な要素となる。
ブルネイの空港に降りたってまず感じたのが、日本との気候の違い。訪問した時期は3月 中旬だったが、日本との気温差は20度、これが熱帯なのだ。海外修学旅行のピークは10 月~12月なので、ブルネイ修学旅行はこうした体験から始まることになる。空港にはハラ ールの食品を売る店がある。首都バンダルスリブガワンの中心に聳え立つ2つの壮大なモス ク、ニュー・モスクではどこからか礼拝を促すアザーンが聞こえてきた。街で見かける女性 は、ほとんどがヒジャブを身に着けていて暑くても肌を露出していない。ムスリムは、一日 に5回礼拝をするというが、我々の取材に同行してくれた観光庁の方々も、決まった時刻 になると行程を中断し、近くのモスクに入って礼拝する。アルコール飲料はなく、食事には 豚肉が使用されない…。イスラム教を国教とするブルネイでは、至る所でイスラム独特の文 化に触れることができる。イスラムの文化は、日本人にはなじみが薄いだけに「学び」の効果は大きい。
ブルネイには、異文化を感じる2つの独特な「住」の様式がある。一つは、イバン族のロングハウス。森の中に築かれた長大な家屋だ。イバン族は、ボルネオ島の先住民族の一つ で、一族は今も昔ながらの大所帯で暮らしている。家族が増えると増改築によってもとの家 に新しい部屋を継ぎ足し、それを繰り返すことで長大な家屋になった。我々が訪問した家に は11家族、通常52人が暮らしていて、学校が休みになり寄宿している若者が戻ってくると100人以上になるという。ロングハウスでは、ものづくりや料理の体験、伝統舞踊を鑑賞することもできる。ムスリムとは異なる自然神への信仰に基づく伝統的な生活文化、それ を受け継ぐ彼らとの交流は貴重な体験だ。
もう一つは、カンポン・アイール(水上集落)。川の上に建てられた高床の住居からなる42の村が一つの巨大な集落を構成している。国民のおよそ10分の1がここに住み、かつては王宮も築かれていたという。水上集落といっても電気・水道などのインフラは整備され、学校や警察・病院などもある普通の近代的な街だ。住居を結ぶ橋があちこちに架けられてい て、移動には水上タクシーが使われている。なかには見学できる家もあるとのこと。1000年以上の歴史があるとされる水上集落の生活文化は、日本では決して触れることのできないものだ。
② ブルネイでの自然体験
それらの文化は熱帯の自然の中で産まれ、育てられた。クアラ・ブライト地区にあるトロピカル・バイオ・ダイバーシティセンターでは、熱帯雨林(ジャングル)の中に複数のトレイルを設け、ガイドの説明を聞きながら散策するプログラムがある。日本では見たこともないような植物や昆虫、それらがどのように人々の暮らしと結びついているか、熱帯雨林の原生林がどのように守られているか…、丁寧な説明でよくわかった。
ブルネイ川河口の船着き場からボートに乗り、川を10数分下るとマングローブが鬱蒼と茂る森が現れる。ボルネオ島だけにしか生息していないテングザルの群れを、そこで見ることができるかも知れない。生憎、我々の前にテングザルは現れなかったが、代わりに川に棲む野生のワニと出遭うことができた。
一方、トゥンブロン地区は、広い範囲が熱帯雨林で覆われた地域だ。トゥンブロン川をロング・ボートで遡った奥に位置するウル・トゥンブロン国立公園には、手つかずの原生林が残されていてボルネオ島の本来の姿を見ることができる。ここではガイドがつかなければジャングルの中を歩くことができない。そして、ここでしかできない体験が「キャノピーウォーク」だ。ジャングルの中の高台に建てられた高さ42mのタワーを上り、5本のタワーをつなぐ鉄製の橋上を歩く。眼下には熱帯雨林の緑が広がり、自然の豊かさを改めて実感できる。その他、トゥンブロン川流域には、トレッキングやカヤックでの川下りなど様々な野外でのアクティビティや伝統的な舞踊・音楽、ものづくりや料理など先住民族の文化を体験できるプログラムが用意されていて、ブルネイの自然と文化を満喫することができる。これらの地域は、SDGsを踏まえ、自然環境の保護・保全や生態系を考えることをテーマにした「学び」を深めるうえで恰好の場所だといえるだろう。
③ ブルネイの人々との交流
異文化を理解するうえで重要なのは、その国の人々と直接交流することだ。そのため多くの学校は、旅程の中に学校間交流やB&Sプログラムを組込み、生徒が同世代の若者たちと交流できる機会を設けている。今回の取材では、残念ながら学校訪問や生徒・先生たちと交流する機会を持つことはできなかった。しかし、カリキュラムの詰まった公立学校はともかく、私立学校への訪問については問題がないという話を聞いた。また、大学生が高校生のグループをガイドして街中を散策するB&Sプログラムは、まだブルネイには設けられていないが、トゥンブロン地区に同行したブルネイ大学の学生たちは皆快活でフレンドリー、しかもきれいな英語を話すので、彼らがガイド役になれば生徒たちはきっと楽しい体験ができるだろう。バンダルスリブガワンでのモスク見学や水上集落訪問、街中のレストランでの食事、市場での買い物など、ブルネイの人々の生活を直に体験する貴重な機会となるに違いない。
2 海外修学旅行のハードルをブルネイは越えられるか
① 生徒の安全・安心の確保
学校が校外行事で最も重視するのが、生徒の安全・安心を確保することだ。とくに海外修学旅行の場合には、訪問国の治安の状況、感染症流行の有無、災害や病気・事故への対応、生徒のアレルギーへの対応といったリスクマネジメントが確立されているかどうかがカギとなる。実際、訪問してみてブルネイの治安は、日本国内と同様かそれ以上だと感じた。東南アジア諸国でしばしば問題となる交通ルールについてもしっかりと守られていて、街中を安全に歩くことができる。野外でのアクティビティについては、それを所管するエージェントのスタッフ全員が応急対応の措置を心得ていて、病院に移送する手立ても整っているという。アレルギー対応に関しては、宿泊施設の関心も高く、事前にしっかりとした連携ができていれば問題はないだろう。ただし、どの国でも同じだが、市場などでの飲食については使用されている食材が不明なので、生徒各自が十分に注意を払う必要がある。
② 旅行費用や食事、宿泊施設など
次に旅行費用だが、ブルネイの物価は日本のそれよりやや低い程度。航空運賃や宿泊費も他のASEAN諸国とそれほど差は無い(シンガポールは除く)。飛行時間は、日本からブルネイまでおよそ6時間半、時差はブルネイの方が1時間遅い。海外修学旅行としては適度な飛行時間ではないかと思う。ただし、直行便は成田-ブルネイ間のロイヤル・ブルネイ航空しかなく、しかも毎日ではないので旅程を組む際には注意しなければならない。また、航空機のエコノミークラスの座席数は 120席なので、大規模校が修学旅行で訪問する際には出発日を1日ずらすなどの工夫が必要になる。現地の食事は、香辛料もきつくなく、日本人には比較的違和感のない味付けで生徒もきっと食べやすいだろう。なお、市場での飲食だが、市場の床面にはゴミ一つ落ちていなく、衛生にはとくに気を配っている様子が窺われる。ブルネイの人々が普段食べているものを我々も美味しくいただいた。市場で売られているものは、市価に比べ価格がだいぶ安いので、英語が通じないこともあるがぜひチャレンジしたい。ホテルも清潔で、シャワーやトイレも完備しているが、男女別にフロアーを分けることができるかどうかは確認できなかった。トイレについては、街中にあるレストランや見学施設などの中には、和式に似た形式のものがある。また、洗浄用の水が出るホースがあってもペーパーが置いてないところもあるので注意が必要だ(この点については、ブルネイの観光庁の方に改善をお願いした)。
以上のことから、海外教育旅行を実施するにあたって考慮しなければならない様々なハードルについては、ブルネイも他のASEAN諸国と同様に学校の工夫で乗り越えられる部分が多く、旅行期間中、生徒たちは問題なく過ごすことができると考える。
まとめ
教育旅行のうち、研修旅行は、例えば「語学研修」のように一定の明確な目的があり、希望する生徒だけが旅行条件を了解したうえで参加する。したがって、費用もそれなりにかけることができるし、団体の規模も大きくない。それに対し、修学旅行は当該学年の生徒全員の参加が原則であるため、多額の費用をかけることはできない。その中で、学校は生徒たちにできるだけ多くの体験をさせたいと考える。また、団体の規模も大きく、参加する生徒も多様であるため、研修旅行に比べ配慮しなければならない点が格段に多い。こうした点から見て、教育旅行でブルネイを訪問するのであれば、まずはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定校など、明確な「学び」のテーマをもった小さな団体の研修旅行からということになるだろう。ただ修学旅行においても、最近は、スケールデメリットを回避し、新学習指導要領にいう「主体的・対話的で深い学び」の実現をめざして複数のコースを設定し、それらのうちから生徒が選択して参加する形式をとる私立学校が増えている。また、公立でもそれに倣う学校が現れはじめていることから、今後、修学旅行はそうした方向に進んでいくと考えられる。であるなら、ブルネイは修学旅行にとっても、それにふさわしい訪問国となる。ただし、トゥンブロン地区のように、一つの地区で多様なアクティビティのプログラムがあるのなら、学校や生徒のニーズに合わせてそれら全部のうちからいくつかを選んで実施できるとよい。それぞれの現地エージェントが連携すればそれも可能となるだろう。地区全体で、学校や生徒たちを受入れる体制をつくってほしい。そして、多くの学校がブルネイを訪れるようになれば、そうしたプログラムも自ずと磨かれ、さらに良いものとなるにちがいない。そうなることを期待して、我々も引き続きお手伝いさせていただくつもりでいる。
末筆になりましたが、このたびの取材・視察旅行でお世話になりました日本アセアンセンター、ブルネイダルサラーム第一次資源・観光開発省、在日ブルネイダルサラーム大使館をはじめとする皆様に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。